小西和人さんを偲ぶ会
2009年1月7日、深夜ご自宅にて死去、静かにこの世を去り天国に旅立たれた元週刊釣りサンデー会長
「小西和人さんを偲ぶ会」が4月26日正午より、新大阪ワシントンホテルプラザに於いて親しかった
多くの釣りファン及び釣友や関係者が多数出席、故人の生前を偲んだ追悼集会がしめやかに営まれました。
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偲ぶ会、受付所で参列署名するチームアイランズ、西本正義さん
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遺影へ向かい両手合わせて深々と一礼するチームアイランズメンバー
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番組アシスタントとして長年
共演してきた当時を振り返り悲しみをこらえながら
司会を務める、永田まりさん
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釣り仲間として長年、共演してきた偲ぶ会、
呼びかけ人代表のオール阪神さん追悼の意を述べられるとともに
数々の実績と足跡を残された故人の功績を称えた
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ご子息である長男の小西英人さんは、挨拶の中で
お亡くなりになる前日までの経緯を説明した後、
生前の父の活躍のエピソードなどを説々と語った
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関東の釣り名人、イレブンPMでお馴染み「JGFA」名誉会員でもある
服部善郎さんは私を凌ぐマルチな釣人であったと高く評価、霊前献花台へ
赴き最後のお別れのお言葉を述べられた
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サンテレビ「ビッグフィッシング」制作担当プロデューサーを
務めていた大阪支社長の松本隆志さん故人の功績を称え
過去の行動と活躍ぶりを語った
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在りし日の故小西和人さんと海外遠征に同行したチームアイランズ
國元洋正 会長。西オーストラリアのエクスマウス沖の船上にて
1991年この頃は、まだバリバリに元気だった
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釣り天国、阿波の徳島市で産声。大学卒業後、地元の徳島新聞社に入社。その後、毎日新聞社へ転勤、記者在職中に釣りクラブを
結成、投げ釣りや磯釣りに熱中、他府県の同支社へ転勤する都度、その地域に於いて釣りクラブを立ち上げ全関西磯釣連盟の副会長を
歴任するなど活発な釣り活動を繰り広げる中、全日本サーフキャスティング連盟会長に就任。勤務先の毎日新聞社を在職半ばに退社、
週刊釣りサンデーを設立、代表取締役社長に就任。近代の投げ釣りや荒磯の大物、泳がせ釣りなど独自の釣りを発案、あらゆる釣法を
次々に探究、国内の釣り場を次々に開拓しながらジャーナリストフィッシャーマンとして世界を駆け巡る。また、多くの釣り関連の書籍を発刊
近隣諸国の韓国、中国、台湾、三か国の有力な釣り愛好家らと親善交流の輪を締結「亜細亜釣魚連盟」を結成。自ら代表を務めるなど活動の
領域を幅広く展開。関西の釣り界をリード、一世を風靡した釣り界のパイオニア的存在であった。更に海辺の自然環境保護を守る
「なぎさの会」代表を務めるなど、さまざまな面で力を注がれた。数少ないマルチな釣り人として記憶に刻まれた彼の功績を称え
ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。享年82歳。生前、釣り人生最後の楽しみだった世界一周の旅に出かけるため長年連れ添った最愛の妻
せい子ご婦人と共に釣り道具を携え世界一周の船旅を満喫した小西和人の釣り人生に悔いはない、永遠に安らかにお眠りください。
両手合わせて合掌
小西和人自伝・楽しみを釣る
開催会場:新大阪ワシントンホテルプラザ
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